昨日、無事にサンフランシスコから羽田に戻ってきました。
空港でクロネコヤマトの宅急便を利用したときのことです。担当してくれた女性の方が――あくまで私の主観でしかありませんが――とても不機嫌そうに見えました。笑顔はなく、私への問いかけもどこかとげとげしく、急かされているような感覚がありました。
「なんか嫌な感じだな」と正直思いました。
一方で、少し離れた場所からその状況を見つめている自分もいました。
「こういう現場はきっとストレスが溜まるんだろうな……長時間立ちっぱなしで、次々と来るお客さんの対応をしながら、職場の人間関係や上司からのプレッシャーもあるのかもしれない……」そんな想像をしている自分です。
20年前の私だったら、長時間のフライトで疲れていたこともあり、「なんだよその態度。俺、何か悪いことした?」とつい口にしていたかもしれません。今だって、心の奥では同じように嫌な気持ちが湧いていました。ただ、今回は理性で抑え込んだだけです。だから、自分が立派になったわけでも、完全に穏やかになったわけでもありません。
私はその「なんか嫌な感じだな」と思った自分を、自我だと捉えています。
そして、「ストレスも溜まるだろうな」と相手に寄り添い、状況を俯瞰していた自分を、真我と呼んでいます。自我は、自分を守り、危険を避け、欲望や期待を満たそうとします。だからこそ、思うようにならなければ不快になる。それは私も、目の前の受付の女性も同じです。
でも、真我の自分は少し違います。状況をあるがまま見つめ、相手の内側にも、自分の内側にも、愛と理解のまなざしを向ける存在です。否定的な感情は自我が引き起こすもの。真我はただ静かにその様子を見守り、全てを抱きしめようとします。
今回の出来事で私は改めて思いました。
自我の声を抑えてくれた自分自身に、真我から「我慢してくれてありがとう」と声をかけたい、と。理性で抑え込んだその努力も、愛おしく、大切にしたいと感じます。
そして、もしこの文章を読んでくれた人が、ほんの少しでも癒され、自分に優しくなろうと思えたら。それだけでとても嬉しいです。自分を責めるのではなく、セルフコンパッションを持つこと。真我に目覚めるための大切な一歩だと思います。
最後に、私が今日改めて感じていることを書き添えます。
それは、「今この瞬間を感じること」。一つひとつの呼吸に意識を向け、その奇跡に感謝することです。社会的地位や物質的な豊かさではなく、今ここにある命の奇跡に心を向けること。
それが、私たちが真我に少しずつ還っていく道だと信じています。