🌟「普通」という暴力
(投稿日:2025年6月3日)
私が育った家は、いわゆる「普通」ではありませんでした。
戦前から横浜のど真ん中でパン屋を始めた祖父の家に生まれ、父は14人兄弟。
同居していた祖母は、戦争で二人の息子を失い、毎日仏壇に長い時間手を合わせていました。
その祖母は、私には無条件の愛を注いでくれました。
本当に感謝しています。
そんな家庭環境で育った私は、子どもの頃から「自分は自由に生きていいんだ」と信じることができました。
ところが大人になり、「普通」という言葉が、あたかも正義のように人を縛りつける姿を何度も目にしました。
そのたびに、強い違和感と嫌悪感を覚えます。
26歳からシリコンバレーで働き、世界中から人が集まる環境で生きる中で、「普通」や「常識」がいかに通用しないかを身をもって体感しました。
そして、その「普通」という言葉から解放されたとき、自分自身がどれほど自由でいられるかを知りました。
「普通」という言葉は、一人一人の無限の可能性を潰し、あるがまま自由に生きることを抑圧します。
私は、「普通」を盾に説得されると、嫌悪感すら抱くということに気づきました。
あらためて振り返ると、この強い怒りの裏側には、「自分はあるがまま自由に生きたい」という切なる願いが隠れているのだと感じます。
そんな気づきを与えてくれたすべての出会いに、心から感謝しています。
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「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。」
(“Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.”)
-アルベルト・アインシュタイン-